広瀬陸斗とは何者か?経歴・父との関係、右SBの特徴と2026年鹿島復帰の全貌
広瀬陸斗(ひろせ・りくと)は、Jリーグの複数クラブで経験を積み、2026年7月にヴィッセル神戸から鹿島アントラーズへ完全移籍で復帰したプロサッカー選手だ。1995年9月23日生まれ、埼玉県出身。右サイドバックを主戦場とし、精度の高いクロスや攻撃参加、左右のサイドバックをこなせる対応力を持つディフェンダーである。
浦和レッズの育成組織から水戸ホーリーホックでプロ生活を始め、徳島ヴォルティス、横浜F・マリノス、鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸を渡り歩いてきた。父親は浦和レッズで活躍した元Jリーガーの広瀬治さん。親子二代で浦和に縁を持つことでも知られている。2026年10月現在は背番号37を着け、再び鹿島の一員としてプレーしている。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- プロフィール:1995年9月23日生まれ、埼玉県出身。身長176cm、体重68kgのDF。
- 経歴:浦和レッズの育成組織を経て、水戸・徳島・横浜FM・鹿島・神戸でプレー。
- プレースタイル:右サイドバックを主戦場とし、正確なクロスや戦術眼、左右両サイドへの対応力が持ち味。
- 家族:父親は浦和レッズOBの広瀬治さん。父から直接サッカーを教わったわけではない。
- 日本代表歴:U-17、U-18、U-19日本代表に選出された経験を持つ。
- 2026年の動向:7月20日にヴィッセル神戸から鹿島アントラーズへ完全移籍。約2年半ぶりの復帰となった。
【広瀬陸斗のプロフィール】1995年生まれのサイドバックはどんな選手?
広瀬陸斗は、埼玉県出身のプロサッカー選手で、2026年10月30日現在31歳。Jリーグの選手登録ではディフェンダー(DF)に分類され、鹿島アントラーズでは背番号37を着けている。
鹿島アントラーズが公表している2026-27シーズンの選手プロフィールによると、基本情報は次のとおりだ。
- 名前:広瀬陸斗(ひろせ・りくと)
- 生年月日:1995年9月23日
- 年齢:31歳(2026年10月30日現在)
- 出身地:埼玉県
- 身長:176cm
- 体重:68kg
- ポジション:DF(主に右サイドバック)
- 所属クラブ:鹿島アントラーズ
- 背番号:37
- 利き足:右
注目したいのは、単純な守備専門の選手ではないという点だ。広瀬は攻撃時にサイドを駆け上がり、クロスや長いパスでチャンスを作る能力を評価されてきた。
また、右サイドだけでなく左サイドバックにも対応できる。チームの戦術や選手構成に合わせて役割を変えられることは、複数のクラブでプレーしてきた広瀬の強みになっている。
Jリーグ公式プロフィールでもDFとして登録されており、クラブを移籍しても一貫してディフェンダーとしてのキャリアを築いてきた。
【プレースタイルを分析】右サイドバックとしての特徴と強み
広瀬陸斗のプレーを理解するうえで重要なのが、攻撃的なサイドバックという特徴だ。
2025年5月に掲載されたフットボールチャンネルのJリーグ能力値ランキングでは、広瀬はサイドバックの評価対象として取り上げられた。特に高精度のクロス、キック技術、戦術眼、左右両サイドへの対応力が評価されている。
1. 精度の高いクロスとキック技術
広瀬の持ち味の一つが、サイドから供給するクロスボールだ。
単純にゴール前へボールを放り込むだけではなく、味方の走り込むスペースや相手守備陣の位置を見ながらボールを届けることができる。
2024年11月のAFCチャンピオンズリーグエリート、セントラルコースト戦では、右サイドからのクロスで相手のオウンゴールを誘発した。スポーツニッポンの試合報道でも、右サイドバックとしての攻撃面の判断が取り上げられている。
このプレーから分かるのは、広瀬が単にクロスを上げる選手ではなく、試合の状況に応じて攻撃方法を選択できるということだ。
2. 左右のサイドバックに対応できる柔軟性
広瀬は右利きながら、左右両方のサイドバックでプレーできる能力を持つ。
サイドバックは、守備時には相手ウイングへの対応が求められ、攻撃時には幅を確保して前線をサポートする必要がある。左右どちらでもプレーできる選手は、試合中のポジション変更や選手交代にも対応しやすい。
また、ヴィッセル神戸ではウイングとして起用されるケースもあったと専門メディアが分析している。サイドの攻守両面で仕事ができることが、広瀬の選手としての特徴だ。
3. FW経験から生まれた攻撃感覚
興味深いのは、広瀬が最初からサイドバックだったわけではないことだ。
徳島ヴォルティスの公式インタビュー企画「VOICE」で、広瀬は浦和レッズユース時代のポジションがフォワードだったと明かしている。
高校2年生のとき、別の選手の代わりにサイドバックを任されたことが転機となった。そのプレーを日本代表スタッフが見ていたことが、サイドバックとして代表に呼ばれるきっかけになったという。
さらに、サイドバックとしてのプレースタイルは水戸で試合に出場するなかで確立していったと振り返っている。
つまり、広瀬の攻撃的な特徴は、単なるポジション適性だけではなく、前線で培った感覚を守備のポジションに生かしてきた結果とも考えられる。
【歴代所属クラブと移籍遍歴】浦和から鹿島復帰までの経歴を年表で整理
広瀬陸斗のキャリアは、浦和レッズの育成組織から始まった。
Jリーグ公式選手記録や各クラブの移籍発表を確認すると、2014年のプロ入りから2026年の鹿島復帰まで、段階的に経験を積んできたことが分かる。
| 時期 | 所属クラブ | 主な出来事・記録 |
|---|---|---|
| 2002~2007年 | 土合サッカースポーツ少年団 | サッカーの基礎を身につける |
| 2008~2010年 | 浦和レッズジュニアユース | 中学年代の育成組織に所属 |
| 2011~2013年 | 浦和レッズユース | 高校年代でプレー。2012~2014年に年代別代表を経験 |
| 2014年 | 水戸ホーリーホック | プロ入り。J2リーグ30試合出場 |
| 2015~2018年 | 徳島ヴォルティス | J2リーグ通算98試合4得点 |
| 2019年 | 横浜F・マリノス | J1リーグ20試合出場1得点。J1優勝を経験 |
| 2020~2023年 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ71試合出場。主力争いを経験 |
| 2024~2026年7月 | ヴィッセル神戸 | J1リーグ55試合出場。2024年のJ1・天皇杯優勝を経験 |
| 2026年7月20日~ | 鹿島アントラーズ | 完全移籍で復帰。背番号37 |
水戸ホーリーホックでプロキャリアをスタート
2013年12月24日、浦和レッズはユース所属だった広瀬の水戸ホーリーホックへの加入内定を発表した。
2014年にプロ選手としてのキャリアを開始すると、ルーキーながらJ2リーグ30試合に出場。リーグ戦で継続的に出場機会を得たことは、その後の成長につながる重要な経験となった。
Jリーグ公式記録によると、リーグ戦デビューは2014年3月2日の大分トリニータ戦。プロとしての第一歩を踏み出した試合でもある。
徳島ヴォルティスで出場機会を拡大
2015年には徳島ヴォルティスへ移籍した。
2015年から2018年まで在籍し、J2リーグで合計98試合に出場、4得点を記録している。特に2016年は41試合に出場して3得点を挙げた。
J2で多くの試合を経験したことは、プロ選手としての基盤を作るうえで大きかった。
横浜F・マリノスでJ1優勝を経験
2018年12月、横浜F・マリノスが広瀬の加入を正式発表した。
2019年シーズンはJ1リーグ20試合に出場して1得点。横浜F・マリノスは同年のJ1リーグを制覇し、広瀬も優勝を経験した。
J2で経験を積んだ選手が、J1の優勝争いをするクラブでプレーすることになった転換点だった。
2020年から2023年まで鹿島アントラーズに所属
2020年1月3日、鹿島アントラーズが横浜F・マリノスからの完全移籍加入を発表した。
鹿島では2020年から2023年まで4シーズン在籍。J1リーグでは合計71試合に出場した。
この期間にはリーグ戦だけでなく、リーグカップや天皇杯、アジアの大会も経験。鹿島というタイトルを求められるクラブでプレーしたことは、広瀬のキャリアにおいて重要な意味を持つ。
2024年にヴィッセル神戸へ移籍
2024年1月5日、ヴィッセル神戸が鹿島からの完全移籍加入を発表した。
神戸では2024年にJ1リーグ27試合2得点、2025年には28試合0得点を記録。2026年のJ1百年構想リーグでも16試合に出場した。
神戸では2024年のJ1リーグ優勝と天皇杯優勝、2026年のJ1百年構想リーグ優勝を経験。複数のタイトルを経験したことは、広瀬のキャリアを語るうえで見逃せない実績だ。
【父親は広瀬治】浦和レッズOBとの親子関係とサッカー人生
広瀬陸斗について検索すると、父親の広瀬治さんとの関係がよく取り上げられる。
広瀬治さんは、浦和レッズで活躍した元プロサッカー選手。帝京高校から三菱重工業サッカー部を経て浦和に加入し、Jリーグ開幕期から2000年の現役引退まで浦和一筋でプレーした人物だ。
特にフリーキックを得意とする選手として知られ、浦和の歴史を語る際に名前が挙がるOBの一人でもある。
父親から直接サッカーを教わったわけではない
興味深いのは、広瀬陸斗自身が父親からサッカーを教わった記憶はほとんどないと語っていることだ。
2019年5月にスポーツナビで公開された取材記事では、父親の現役時代について、幼いころに浦和の試合会場へ行った記憶はあるものの、試合そのものよりも会場で遊んでいた思い出のほうが強いと振り返っている。
父親の広瀬治さんも、息子に対して熱血指導を行うつもりはなく、サッカーを無理に教え込むことはしなかったと取材で話している。
つまり、父親が有名なサッカー選手だったからといって、陸斗が特別な英才教育を受けて育ったわけではない。
親子二代で浦和レッズに縁がある
父・治さんは浦和レッズの選手として活躍し、息子の陸斗は浦和レッズジュニアユースとユースで育った。
親子が同じクラブに異なる立場で関わってきたことは、広瀬家と浦和レッズのつながりを象徴している。
Jリーグ公式の親子選手特集でも、広瀬陸斗と父・治さんは親子Jリーガーとして紹介されている。
2019年には陸斗が横浜F・マリノスの選手としてJ1初ゴールを記録。父親もJ1でゴールを決めた経験があり、親子それぞれがJ1の舞台で得点を記録したことも話題になった。
父親の知名度だけで息子を評価するのではなく、陸斗自身がJ2からJ1へと経験を積み重ねてきたキャリアに注目したい。
【日本代表歴】U-17・U-18・U-19日本代表に選出された実績
広瀬陸斗は、年代別の日本代表にも選ばれてきた選手だ。
ヴィッセル神戸や鹿島アントラーズの公式発表では、代表歴として以下の3カテゴリーが記載されている。
- 2012年:U-17日本代表
- 2013年:U-18日本代表
- 2014年:U-19日本代表
浦和レッズユース時代には、U-18日本代表のウズベキスタン遠征メンバーにも選出された。浦和レッズの公式発表でも、2013年8月の代表選出が確認できる。
また、2014年のU-19日本代表メンバーには、JFA(日本サッカー協会)の公式選手一覧にも広瀬の名前が掲載されている。
FWからサイドバックへの転向が代表選出につながった
広瀬の代表歴を理解するうえで重要なのが、浦和レッズユース時代のポジション変更だ。
前述の徳島ヴォルティス公式インタビューによると、広瀬は高校2年生のときにサイドバックを任され、そのプレーを代表スタッフに見られたことが代表選出につながった。
もともと前線でプレーしていた選手が、守備のポジションで評価されて年代別代表に選ばれたという経緯は、現在の攻撃的なサイドバックというプレースタイルにもつながっている。
A代表への選出とは区別が必要
ここで注意したいのは、年代別日本代表への選出と、サッカー日本代表のA代表への選出は別の実績だという点だ。
広瀬にはU-17、U-18、U-19日本代表の選出歴がある一方、Jリーグ公式選手プロフィールに掲載されている日本代表出場試合数は0試合となっている。
したがって、日本代表経験を紹介する場合は、年代別代表の実績として整理するのが正確だ。
【2026年現在】ヴィッセル神戸から鹿島アントラーズへ復帰した理由と最新状況
2026年の広瀬陸斗にとって最大のニュースは、鹿島アントラーズへの復帰だ。
2026年7月20日、鹿島アントラーズはヴィッセル神戸に所属していた広瀬を完全移籍で獲得したと公式発表した。神戸側も同日に完全移籍を発表している。
2023年まで鹿島に在籍していた選手が再び戻る形となり、Jリーグ公式サイトも3年ぶりの復帰として紹介した。
鹿島復帰は期限付き移籍ではなく完全移籍
今回の移籍で重要なのは、期限付き移籍ではなく完全移籍であることだ。
2024年1月に鹿島から神戸へ移籍した広瀬は、神戸で約2年半プレーした。その後、2026年7月20日に鹿島へ完全移籍で加入している。
鹿島の公式発表では、背番号37、ポジションDF、身長176cm、体重68kgと紹介された。
復帰に際して広瀬は、再びアントラーズのエンブレムを背負って戦えることへの誇りと、復帰した意味やクラブからの期待に応えたいという決意をコメントしている。
2026年10月現在の所属と出場状況
2026年10月30日現在、広瀬は鹿島アントラーズの選手として登録されている。
Jリーグ公式選手プロフィールの2026年10月27日更新データでは、2026/27シーズンのJ1リーグで以下の成績が確認できる。
- 所属:鹿島アントラーズ
- 背番号:37
- J1リーグ出場:9試合
- 得点:0
- アシスト:1
復帰後は8月7日の横浜F・マリノス戦から出場記録があり、先発出場も重ねている。10月9日のガンバ大阪戦にも出場した。
過去に所属した鹿島の環境を知る選手が戻ってきたことは、チームにとってもプラス材料になる。特にサイドバックは攻守の切り替えや連係が重要なポジションであり、チームの戦術を理解した選手が加わる意味は小さくない。
鹿島復帰後に注目したい3つのポイント
1. 右サイドバックの選手層への貢献
左右のサイドバックをこなせる広瀬は、選手起用の幅を広げられる存在だ。過密日程や負傷者が出た場合にも、ポジションの柔軟性が生きる可能性がある。
2. クロスと攻撃参加
広瀬の持ち味であるクロスや長いキックは、攻撃の組み立てに変化を加えられる。サイドからの攻撃をどれだけチャンスにつなげられるかが見どころになる。
3. 神戸で経験したタイトル獲得の経験
神戸ではJ1優勝や天皇杯優勝を経験している。タイトルを争うクラブで過ごした経験を、鹿島でどのように生かすかにも注目したい。
【広瀬陸斗】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:広瀬陸斗は現在どこのチームに所属していますか?
A1:2026年10月現在、鹿島アントラーズに所属しています。2026年7月20日にヴィッセル神戸から完全移籍で加入し、背番号37を着けています。
Q2:広瀬陸斗のポジションはどこですか?
A2:登録ポジションはDFで、主戦場は右サイドバックです。左サイドバックにも対応でき、攻撃参加や精度の高いクロスを持ち味としています。
Q3:広瀬陸斗の父親は誰ですか?
A3:父親は元浦和レッズのサッカー選手、広瀬治さんです。フリーキックを得意とした選手として知られています。陸斗自身は父親から直接サッカーを教わった記憶はないと取材で語っています。
Q4:広瀬陸斗は浦和レッズ出身ですか?
A4:はい。土合サッカースポーツ少年団を経て、2008年から浦和レッズジュニアユース、2011年から浦和レッズユースに所属しました。2013年12月に水戸ホーリーホックへの加入が内定しています。
Q5:広瀬陸斗は日本代表に選ばれたことがありますか?
A5:あります。2012年にU-17、2013年にU-18、2014年にU-19日本代表に選出されています。ただし、A代表の出場記録はありません。
Q6:広瀬陸斗は鹿島アントラーズにいつ復帰しましたか?
A6:2026年7月20日です。ヴィッセル神戸から完全移籍で加入し、2023年まで在籍していた鹿島に戻りました。
まとめ:広瀬陸斗の実力と2026年鹿島復帰後の注目点
広瀬陸斗は、1995年生まれの埼玉県出身のプロサッカー選手であり、浦和レッズの育成組織からプロの世界へ進んだ右サイドバックだ。
水戸ホーリーホックでプロデビューし、徳島ヴォルティスで経験を積み、横浜F・マリノスではJ1優勝を経験。その後、鹿島アントラーズとヴィッセル神戸でもプレーし、J1リーグや天皇杯などのタイトルを獲得してきた。
父親の広瀬治さんが浦和レッズのOBであることも注目されるが、陸斗自身のキャリアは、ユース時代のポジション変更やJ2での経験、J1での継続的な出場によって築かれている。
2026年7月20日の鹿島復帰は、キャリアにおける新たな節目だ。完全移籍で戻り、再び背番号37を着けて戦うことになった。
【プロの結論】
広瀬陸斗を評価する際に見るべきポイントは、得点数だけではない。サイドバックとしての守備対応、クロスの精度、攻撃参加、左右のポジションへの適応力、そして試合状況を読む判断力が重要になる。
特に、FWからサイドバックへ転向した経歴は、攻撃的な守備選手としての特徴を理解するうえで欠かせない。
今後の鹿島での活躍を判断するなら、出場試合数だけでなく、先発起用の継続性、攻撃面での貢献、守備時の安定感、チームのタイトル争いへの貢献度を合わせて見ることが大切だ。
父親の知名度や過去の所属クラブだけでは測れない、経験豊富な31歳のサイドバック。2026年の鹿島復帰を機に、広瀬陸斗がどのような存在感を示すのか、引き続き注目したい。
主な参照資料: 鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸、Jリーグ公式サイト、浦和レッズ公式サイト、JFA、徳島ヴォルティス公式インタビュー、スポーツナビ、フットボールチャンネル。
(出典: 広瀬 陸 斗(Yahoo!ニュース))