【九龍寨城公園の現在】取り壊し後の跡地はどうなった?
1994年4月、九龍城砦の解体工事が完了しました。その跡地は、かつての暗く密集した居住区とは対照的な、緑豊かな中国式庭園へと生まれ変わりました。
現在の施設名は九龍寨城公園(Kowloon Walled City Park)です。香港政府観光局の案内によると、敷地面積は約3万1,000平方メートル。伝統的な中国庭園の意匠を取り入れ、池や東屋、緑地などが整備されています。
現在も残る九龍城砦の歴史的遺構
解体時には考古学的な調査が実施され、すべてが撤去されたわけではありません。歴史的価値の高い遺構は保存され、現在の公園に組み込まれています。
代表的なのが、次の2つです。
1. 旧衙門(ヤーメン)
かつて九龍城砦の行政機関として使われていた建物です。灰色のれんがを使用した伝統的な建築で、三進二院式の構造を持ちます。修復後は展示施設として利用されています。
2. 南門の遺構
発掘調査で、旧南門の基礎や石畳、さらに「南門」「九龍寨城」と刻まれた2つの石額が発見されました。これらは元の位置で保存され、九龍城砦の歴史を伝える重要な遺産となっています。
旧衙門と南門の遺構は、1996年に香港の法定古跡に指定されました。
2026年現在も歴史を学べる展示がある
公園内には「A City of Thousand Faces(千面之城)」という常設展示があります。
香港政府観光局の案内によると、展示では九龍城砦の立体模型や、街の内部構造を断面で表現した作品などを通して、かつての生活や建築を知ることができます。
現在の九龍寨城公園は、単に緑を楽しむための場所ではありません。旧衙門や南門の遺構、展示資料を通じて、かつての香港の都市問題と住民の生活を振り返ることができる歴史的な場所です。
【九龍城砦の当時の写真】ネズミと生活環境を伝える貴重な記録
九龍城砦のネズミの実態や衛生状態を知るうえで、写真資料は欠かせません。
特に重要なのが、写真家のグレッグ・ジラードとイアン・ランボットによる記録です。2人は解体前の九龍城砦を撮影し、建物の外観、狭い路地、食品工場、住民の暮らしなどを写真に残しました。
その写真を収録した書籍『City of Darkness』は、九龍城砦の歴史を視覚的に理解するための代表的な資料です。
2024年11月のガーディアンの写真特集では、1987年の夜景や路地、1991年の給水設備、製麺工場などの写真が紹介されました。写真の説明文には、工場に残った小麦粉がネズミの餌になっていたことや、行政による毒餌を使った駆除活動についても記されています。
また、写真家キーピング・リーによる1987年の「Wet Alley in Kowloon Walled City」も紹介されています。濡れた路地の光景は、当時の排水環境を考えるうえで興味深い記録です。
写真を見るときに注意したいこと
2024年の写真特集には、過去の実写写真だけでなく、AI技術で再構成された作品も含まれています。
そのため、当時の九龍城砦を調べる際には、撮影者、撮影年、作品の説明を確認することが大切です。AIによる再現画像を1980年代の実際の記録写真と混同すると、建物や住環境の実態を誤って理解する可能性があります。
また、写真にネズミが写っていないからといって、当時ネズミがいなかったことにはなりません。反対に、ネズミの写真が1枚あったとしても、街全体の個体数を証明することにはなりません。
写真と行政記録、研究論文、元住民の証言を組み合わせることで、より立体的な歴史像が見えてきます。
【プロの結論】九龍城砦のネズミ問題から見える本当の取り壊しの歴史
九龍城砦の取り壊しをめぐる最大のポイントは、ネズミがどこへ行ったかという疑問の背後に、都市の衛生管理と住民の生活、そして行政の責任という3つの問題が存在していたことです。
ここまでの記録を整理すると、重要な判断材料は次のようになります。
1. ネズミは実在し、行政による駆除も実施されていた
1974年の英国議会議事録には、下水の中に大きなネズミがいたという証言があります。2018年の研究論文には1986年の行政関係者による観察が引用され、2024年のガーディアンの特集では、解体前の毒餌による駆除活動が紹介されています。
したがって、九龍城砦のネズミ問題は単なる誇張ではありません。
2. 解体直前に周辺地域への大量移動を懸念する声があった
ガーディアンが紹介した写真資料の説明によると、周辺住宅地では、解体によってネズミが一斉に移動することが懸念されていました。行政は毒餌による駆除活動を行い、その懸念に対処しました。
ただし、駆除された総数や残存個体の移動先は明らかになっていません。
3. 取り壊しの本質は都市全体の再編だった
九龍城砦の解体は、ネズミの駆除を目的とした工事ではありません。中英両国の政治的調整、特殊な土地の法的問題、衛生環境、住民の再定住、跡地の公園化が重なった都市政策でした。
さらに、元住民の証言や研究論文からは、劣悪な生活環境と地域コミュニティの強さが同時に存在していたことも分かります。
この歴史から学べるのは、都市の衛生問題を解決するには、単純に建物を撤去するだけでは不十分だということです。食料源の管理、排水設備の改善、ネズミの生息場所の除去、住民の移住支援などを一体的に進める必要があります。
九龍城砦では、ネズミへの対策と住民の再定住が別々の課題として進められました。現在の都市開発にも通じる、重要な教訓です。
【九龍城取り壊しネズミ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:九龍城砦を取り壊したとき、ネズミはどうなった?
A1:解体前に香港政庁の都市サービス局が毒餌による駆除活動を実施した記録があります。近隣への大量移動を防ぐ目的もあったと写真資料の解説で紹介されています。ただし、すべてのネズミの処分状況や正確な個体数は分かっていません。
Q2:九龍城砦では本当にネズミが大量発生していた?
A2:ネズミが生息していたことは、1974年の英国議会議事録や1986年の行政関係者の観察記録から確認できます。開放排水溝、下水、食品工場に残る小麦粉などが生息環境を形成していました。ただし、当時の総個体数を示す統計は確認されていません。
Q3:九龍城砦の取り壊しは1993年と1994年のどちら?
A3:建物の本格的な解体工事は1993年3月23日に始まり、1994年4月に完了しました。1991年11月から1992年7月にかけて行われたのは、主に住民の退去と物件の接収です。両者を区別すると時系列が理解しやすくなります。
Q4:九龍城砦の跡地は現在どうなっている?
A4:現在は香港の九龍城地区にある九龍寨城公園です。1995年12月22日に開園し、旧衙門や南門の遺構が保存されています。歴史展示もあり、かつての街並みや住民の生活を学べる場所になっています。
まとめ:九龍城砦のネズミの行方と取り壊しの真相
九龍城砦の取り壊し時にネズミがどうなったのか。その答えを探ると、単なる都市伝説ではなく、行政による駆除活動が実施されていた事実にたどり着きます。
1974年の英国議会議事録には、下水に生息する大きなネズミの証言が残り、1986年の行政関係者の観察にもネズミや開放排水溝の問題が記録されています。そして、解体前には毒餌による駆除活動が行われていました。
歴史の流れを整理すると、次のようになります。
- 1987年:香港政府が取り壊しと公園化を発表。
- 1991〜1992年:住民の退去と補償・再定住を実施。
- 1993年3月:建物の本格的な解体を開始。
- 1994年4月:解体工事が完了。
- 1995年12月:九龍寨城公園が開園。
2026年現在、かつての巨大な居住区は姿を消し、その跡地には緑豊かな公園と歴史的な遺構が残っています。
ネズミの正確な行方や総数は歴史資料から特定できません。しかし、駆除活動が行われたこと、周辺地域への移動が懸念されていたことは記録されています。
九龍城砦の歴史は、ネズミが大量にいた奇妙な街の物語だけではありません。衛生問題を抱えながらも、数万人規模の人々が暮らし、独自の経済と地域社会を築いていた街が、行政と政治の判断によって消えていった歴史なのです。 (出典: 九龍 城 取り壊し ネズミ(Yahoo!ニュース))