河島佑香はPerfume初期メンバー?脱退理由・のっち加入と2026年の現在を徹底解説
Perfumeの結成当初に、現在の3人とは別のメンバーが在籍していたことをご存じだろうか。その人物が、広島県呉市出身の河島佑香(かわしま・ゆか)だ。愛称は「かわゆか」。西脇綾香(あ〜ちゃん)、樫野有香(かしゆか)とともに、現在のPerfumeにつながる前身ユニット「ぱふゅ〜む」の初期メンバーとして活動していた。
河島佑香は2001年にグループを離れ、その後、大本彩乃(のっち)が加入。現在の3人体制が確立された。一方、河島自身も芸能活動から完全に姿を消したわけではない。2011年には吉本興業に入社し、広島でマネジャーとして活動。その後は歌手としての活動を再開し、2026年にも広島でアーティストとして活動していることが確認できる。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 初期メンバー:河島佑香は2000年結成と報じられた「ぱふゅ〜む」のオリジナルメンバー。あ〜ちゃん、かしゆかと3人で活動していた。
- 脱退理由:本人が2020年6月6日に公開したnoteで、ダンスレッスンの負担や歌に専念したい気持ち、オーディションの結果を具体的に説明している。
- 2026年の現在:吉本興業での勤務を経て、広島を拠点に歌手・アーティストとして活動。2026年5月には学校のキャリア教育にも講師として参加している。
【プロフィール】河島佑香とは何者?本名・読み方・出身地を整理
河島佑香は、Perfumeの前身ユニットに在籍していた広島県出身の歌手・アーティストだ。読み方は「かわしま・ゆか」。当時は「かわゆか」という愛称でも知られていた。
2011年5月31日付のデイリースポーツは、河島佑香をPerfume結成時のオリジナルメンバーとして紹介している。同紙によれば、広島県呉市出身で、当時は吉本興業に入社したばかりの社員だった。
ここで押さえておきたいのは、河島佑香という名前は芸名ではなく、本人が活動名として使用している名前だという点だ。現在のアーティストプロフィールでも「河島佑香」「Yuka Kawashima」と表記されている。
河島佑香の基本プロフィール
- 名前:河島佑香
- 読み方:かわしま・ゆか
- 愛称:かわゆか
- 出身地:広島県呉市
- 初期の芸能活動:アクターズスクール広島在籍、ぱふゅ〜むの初期メンバー
- 大学:広島経済大学経済学部メディアビジネス学科卒業
- 現在の活動:歌手・アーティスト
- 代表的な作品:ミニアルバム『DIVA REDUX』
大学の学歴については、2024年のサンフレッチェ広島公式サイトに掲載されたプロフィールに、広島経済大学経済学部メディアビジネス学科卒業と記載されている。在学中からラジオパーソナリティーなど、幅広い活動をしていたという。
なお、生年月日や現在の年齢、家族構成などについては、信頼できる本人発信や公的プロフィールで確認できる情報が限られている。2011年の新聞記事には当時27歳との記載があるが、それだけを根拠に現在の年齢や誕生日を断定することはできない。
【結成秘話】河島佑香はPerfumeの初期メンバーだった!「YAY」と「ぱふゅ〜む」の歴史
Perfumeの歴史をたどると、現在の3人体制が最初から存在していたわけではないことが分かる。
舞台となったのは、広島の芸能スクール「アクターズスクール広島(ASH)」。西脇綾香と樫野有香がスクールで出会い、同年代の河島佑香を加えてユニットを結成したことが、Perfumeの原点となった。
最初のユニット名は「YAY」
2022年9月11日放送の日本テレビ系『行列のできる相談所』では、Perfume自身がグループ名の由来を紹介した。
初期メンバーの名前は次の3人だった。
- 西脇綾香(あ〜ちゃん)
- 樫野有香(かしゆか)
- 河島佑香(かわゆか)
最初のユニット名として紹介された「YAY」は、それぞれの名前の頭文字に由来する。その後、3人の名前に共通して「香」という漢字が入っていたことから、「Perfume(香水)」を連想させる名前へとつながっていった。
このエピソードは、2022年9月12日付のスポニチアネックスでも報じられている。かしゆかは、のっちが加入した後には名前の由来を「香水のようにみんなの記憶に残る存在になりたい」という意味合いに変えたことを説明していた。
初期の「ぱふゅ〜む」は現在とは異なる活動スタイルだった
結成時期については、1999年とする紹介記事もある一方、2011年のデイリースポーツや2018年のJ-WAVE NEWSは2000年結成としている。あ〜ちゃんとかしゆかが小学校4年生だった1998年に出会ったというエピソードもあり、出会いからユニット結成までを一つの年にまとめるのは正確ではない。
当時の活動は、現在の洗練されたテクノポップとは異なる、スクール内の発表会やアイドル活動を中心としたものだった。
J-WAVE NEWSの2018年8月17日付の特集でも、結成当初はのっちではなく別のメンバーが在籍しており、当時の音楽性は現在とは異なるアイドル路線だったと紹介されている。
つまり、河島佑香は単にPerfumeの前身グループに名前を連ねていた人物ではない。グループの名前が生まれた時期を共有した、歴史的なオリジナルメンバーなのである。
【脱退理由の真相】河島佑香本人のnoteが明かした意外な経緯
河島佑香の脱退をめぐっては、長年さまざまな説明が流通してきた。特に目立つのが、メンバー同士の不仲や対立が原因だったのではないかという説だ。
しかし、この問題を考えるうえで非常に重要な資料がある。本人名義のnoteに2020年6月6日付で公開された「第61話 ASH」という記事だ。
これは、河島自身がアクターズスクール広島時代を振り返り、当時の活動や脱退に至った経緯を一人称で説明した記録である。
毎日の練習とダンスへの苦手意識
本人の記述によると、最初に出会った同年代の女の子とは、スクールの同じクラスになったことで親しくなった。お互いに最初の友達であり、ライバルでもあったという。
その後、年上の生徒たちとユニットを組んでオーディションを受けたものの、活動の方向性が合わず、同年代のもう一人の女の子を加えた3人組を結成した。
この3人で毎日のように練習を重ねたが、活動が本格化するにつれて、ダンスに対する苦手意識が大きくなっていった。
河島は当時について、本気で取り組んでいたからこそ衝突も多く、ダンスが苦手で精神的にもつらくなっていたと振り返っている。
一方で、歌唱力では負けたくないという気持ちも強かった。歌に力を入れたいという思いから、ダンスを中心としない2人組のユニットも別に結成していた。
脱退を決めた直接のきっかけはオーディション
本人のnoteで特に重要なのは、脱退を決めた具体的な出来事についての説明だ。
河島は、あるオーディションを自分の中で進退を決める機会と位置付けていた。合格すれば活動を続け、不合格ならスクールでの活動を諦めるという条件を自分自身に課していたのである。
しかし、結果は不合格だった。最後の段階で、もう一つのユニットを組んでいた相方に敗れたという。
悔しさはあったものの、本人はその結果を受け入れ、活動を辞める決心がついたと説明している。
さらに、ダンスレッスンへの負担が大きくなっていたこと、歌に集中したいという希望も理由として挙げた。
本人の説明を整理すると、脱退の経緯は次のようになる。
- ダンス中心の活動に苦手意識を抱いていた。
- 歌唱に集中したいという希望が強くなった。
- 歌を中心とする別ユニットでも活動していた。
- 進退を決めるオーディションに不合格となった。
- その結果を受け、スクールでの活動を終える決断をした。
不仲説は本当なのか?
本人の記述には、真剣に取り組んでいたからこそメンバー同士でぶつかることも多かったという内容がある。
ただし、それを特定のメンバーとの確執や決定的な不仲と結び付けることはできない。むしろ本人は記事の終盤で、現在も頑張っているメンバーについて憧れや尊敬の気持ちを記している。
また、2022年の『行列のできる相談所』に関するJ-CASTニュースの記事では、河島の脱退理由が「家庭の事情」と紹介されている。
一方、本人の2020年の説明は、オーディションの結果、ダンスへの苦手意識、歌に集中したいという希望を具体的に挙げている。
この2つの説明は、必ずしも完全に同じ情報ではない。ただ、少なくとも本人が公開した詳細な記録からは、脱退を単純なメンバー間の不仲や喧嘩だけで説明することはできない。
【のっち加入の経緯】河島佑香から大本彩乃へ!Perfumeメンバー変遷を年表で解説
河島がグループを離れた後、新たに加入したのが、現在もPerfumeのメンバーとして活動している大本彩乃、通称のっちだ。
のっちもアクターズスクール広島に在籍していた同年代の生徒だった。2022年9月11日の『行列のできる相談所』では、あ〜ちゃんがスクール内のエレベーターでのっちに声をかけたことが加入のきっかけとして紹介された。
のっちは当時の誘いについて、加入をすぐに快諾したという趣旨のエピソードを披露している。
この加入によって、現在まで続く西脇綾香・樫野有香・大本彩乃の3人体制が完成した。
Perfumeの歴代メンバーと主な出来事
| 時期 | メンバー・出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1998年 | あ〜ちゃん・かしゆかの出会い | 小学校4年生の頃に出会ったとテレビ番組で紹介 |
| 1999〜2000年頃 | 河島佑香が参加 | YAY、ぱふゅ〜むにつながる初期ユニットを結成 |
| 2001年 | 河島が脱退、のっちが加入 | 現在の3人体制が完成 |
| 2002年3月 | インディーズCD発売 | 『OMAJINAI☆ペロリ』をリリース |
| 2003年 | 東京へ活動拠点を移す | 表記を「Perfume」に変更 |
| 2005年 | メジャーデビュー | 『リニアモーターガール』を発売 |
| 2007年 | 全国的なブレイク | 『ポリリズム』などで知名度が拡大 |
| 2025年9月21日 | 活動休止を発表 | 2026年からコールドスリープに入ると発表 |
| 2026年 | コールドスリープ期間 | 3人はそれぞれの人生に向き合う時間へ |
この年表から分かるように、Perfumeの歴史には、河島佑香が在籍した初期と、のっちが加入した後の現在の体制という2つの段階がある。
ただし、歴代メンバーが4人いることと、4人組として活動していたことは別の話だ。河島が在籍していた時期とのっちが加入した後ではメンバーが入れ替わっており、河島とのっちが同時に在籍した4人体制だったわけではない。
2002年3月に発売された『OMAJINAI☆ペロリ』も、河島の在籍時ではなく、のっち加入後の3人体制でのリリースである。
【脱退後の経歴】吉本興業への入社から歌手活動の再開まで
河島佑香のその後を調べると、一般人として完全に芸能活動から離れたという説明とは異なる経歴が浮かび上がる。
特に注目したいのが、2011年の吉本興業への入社だ。
2011年、吉本興業の社員として広島で活動
デイリースポーツは2011年5月31日、元Perfumeメンバーの河島佑香が吉本興業に新入社員として入社したと報じた。
彼女が担当したのは、同年に始まった地域活性化企画「あなたの街に“住みます”プロジェクト」。広島エリアの担当社員として、お笑いコンビ「フリータイム」のマネジャーを務めていた。
このプロジェクトは、全国47都道府県にエリア担当社員と芸人を配置し、地域に密着した活動を展開するものだった。
当時の会見資料では、河島自身がPerfumeの初期メンバーであることを広島での活動に生かし、さまざまな人との出会いや可能性を広げたいという趣旨の抱負を示していた。
2013年7月6日のデイリースポーツも、2011年の記事を再掲載する形で、彼女が吉本興業の社員として新しい夢に向かっていると紹介している。
この経歴は、単なる芸能界復帰という説明では不十分だ。芸能活動の経験を持つ人物が、地域の芸人を支えるマネジメント側へと仕事の領域を広げた出来事だった。
大学卒業後はラジオや地域活動にも参加
サンフレッチェ広島の公式プロフィールには、河島が広島経済大学経済学部メディアビジネス学科を卒業したこと、在学中からラジオパーソナリティーなど多方面で活動していたことが記載されている。
また、2005年には古田瑶子主催のニューヨークでのピースコンサートにも参加している。
この経歴からは、河島が幼少期から続けてきた歌の活動を完全に断ち切ったわけではなかったことが分かる。芸能スクール時代に抱いた歌への思いは、その後の人生にもつながっていた。
2015年に『DIVA REDUX』をリリース
歌手としての活動で大きな節目となったのが、2015年12月のミニアルバム『DIVA REDUX』のリリースだ。
広島の音楽店「ラヴィアンブルー」の公式プロフィールによると、河島は一時活動を休止した後に歌手活動を再開し、オリジナル曲を収録した同作品を発表した。
さらに翌2016年には、マツダスタジアムで国歌斉唱を担当したという。
その後は古田瑶子との音楽ユニット「Y.イプシロン」のボーカルとしても活動。ラヴィアンブルーの公式サイトでは、2人によるライブ活動や音楽を通じた地域との交流が紹介されている。
河島の経歴は、Perfumeの初期メンバーという過去だけで語れるものではない。歌手、大学卒業後の社会人経験、地域の音楽活動という複数の側面を持っている。
【2026年最新】河島佑香の現在は?歌手活動とPerfumeとの関係
2026年10月時点で確認できる公開情報では、河島佑香は広島を拠点に歌手・アーティストとして活動している。
特に新しい動向として注目したいのが、2026年5月の広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校のキャリア教育への参加だ。
2026年5月、学校のキャリア教育に講師として参加
同校の2026年5月25日付のお知らせには、「協創キャリアウィーク2日目~『好き』が未来につながる一歩に~」の講師として、歌手・アーティストの河島佑香氏の名前が掲載されている。
これは、2026年における彼女の活動を確認できる重要な記録だ。少なくとも、現在もアーティストとして社会的な活動を続けていることが分かる。
2025年9月に同校が公開した社会人講演会の案内にも、河島は歌手・アーティストとして紹介されていた。プロフィールには、ニューヨークでのピースコンサート、オリジナルアルバム、マツダスタジアムでの国歌斉唱、サンフレッチェ広島のピースマッチでのハーフタイム歌唱などが記載されている。
また、サンフレッチェ広島の公式サイトには本人のXとInstagramのアカウントも掲載されている。本人の発信を追う場合は、こうした公式プロフィールから確認できるアカウントを基準にするのが確実だ。
Perfumeの活動休止と河島佑香の現在は別の話
2026年のPerfumeを語るうえで欠かせないのが、2025年9月21日に発表された「コールドスリープ」だ。
Perfume公式サイトに掲載されたメンバーのメッセージによると、3人は2026年から一度活動を休止し、それぞれの人生に向き合う時間を設けることを決めた。
公式発表では、活動休止を今後の挑戦に向けた区切りと位置付けている。3人であればどのような形になってもPerfumeであるという思いも伝えていた。
ただし、この活動休止は河島の脱退とは直接関係しない。河島は2001年に初期ユニットを離れており、2026年のコールドスリープは、現在の3人が長年の活動を経て決めた新しい節目である。
河島の過去と現在のPerfumeを同じ時間軸で混同しないことが、検索情報を正しく理解するポイントになる。
【誤解を整理】河島佑香とPerfumeをめぐる噂・二次情報の真相
河島佑香について検索すると、脱退理由やその後の生活について、断定的な説明を掲載する記事が見つかる。しかし、本人の記録や公式プロフィールと照らし合わせると、慎重に扱うべき情報もある。
誤解1:河島佑香はメンバーとの不仲で脱退した
本人の2020年のnoteには、真剣に活動していたからこそ衝突があったという記述がある。しかし、脱退の決断についてはオーディションの結果、ダンスへの負担、歌に専念したいという気持ちを説明している。
特定のメンバーとの確執が脱退の決定的な原因だったとする本人の説明は確認できない。本人が現在のメンバーを尊敬していると記していることも重要なポイントだ。
誤解2:河島佑香はPerfumeの4人目のメンバーだった
歴史上のメンバーを通算すると、あ〜ちゃん、かしゆか、河島、のっちの4人になる。しかし、河島が脱退した後にのっちが加入したため、4人が同時にPerfumeとして活動したわけではない。
初期メンバーと現メンバーを区別して理解する必要がある。
誤解3:河島佑香は脱退後、芸能活動を完全に引退した
2011年には吉本興業の社員として広島エリアを担当し、2015年にはオリジナル曲を収録したミニアルバムをリリース。2016年にはマツダスタジアムで国歌斉唱を務めた。
さらに2026年5月には学校のキャリア教育に講師として参加している。したがって、脱退後に一切の芸能・音楽活動を行っていないという説明は正確ではない。
誤解4:現在はPerfumeのメンバーと絶縁している
本人のnoteには、現在のメンバーへの憧れや尊敬の気持ちが記されている。一方、現在の私的な交流頻度や関係性については、具体的な公表情報がない。
過去の本人の言葉から不仲や絶縁を断定することも、逆に現在も頻繁に交流していると断定することもできない。
情報を見極める際は、本人の発信、Perfume公式発表、新聞報道、地域団体や学校の公式プロフィールを優先することが大切だ。匿名掲示板や出典の示されていないブログの記述だけで、脱退理由や私生活を判断するのは避けたい。
【河島佑香 perfume】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:河島佑香はPerfumeの元メンバーですか?
A1:はい。西脇綾香、樫野有香とともに初期の「ぱふゅ〜む」を結成したオリジナルメンバーです。2001年に脱退し、その後、大本彩乃(のっち)が加入しました。
Q2:河島佑香がPerfumeを脱退した本当の理由は何ですか?
A2:本人が2020年6月6日に公開したnoteによると、ダンスレッスンへの苦手意識、歌に専念したいという希望、別ユニットで受けたオーディションの結果が脱退の決め手になりました。
Q3:河島佑香は現在何をしていますか?
A3:2026年時点で確認できるプロフィールでは、広島を拠点とする歌手・アーティストです。2015年にミニアルバム『DIVA REDUX』を発表し、2026年5月には広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校のキャリア教育にも講師として参加しています。
Q4:のっちはいつPerfumeに加入したのですか?
A4:2001年です。河島の脱退後、あ〜ちゃんがアクターズスクール広島でのっちに声をかけたことが加入のきっかけとして紹介されています。
Q5:河島佑香と現在のPerfumeメンバーは交流していますか?
A5:本人は2020年のnoteで、現在のメンバーへの憧れや尊敬を表明しています。ただし、2026年現在の具体的な私的交流については公表情報が限られています。
まとめ:河島佑香はPerfumeの原点を共有した初期メンバーであり、現在も歌い続けている
河島佑香は、Perfumeが現在の3人体制になる前に、西脇綾香、樫野有香とともに初期ユニットを結成したオリジナルメンバーだ。
2001年の脱退については、2020年に本人が公開したnoteが重要な資料となっている。そこには、ダンスへの苦手意識、歌へのこだわり、オーディションの結果を受けて自分で進路を決めた経緯が記されている。
その後の歩みも興味深い。2011年には吉本興業に入社して広島で地域密着型の仕事に携わり、2015年には音楽作品を発表。2016年のマツダスタジアムでの国歌斉唱など、歌手としての活動も続けてきた。
そして2026年5月には、学校のキャリア教育に歌手・アーティストとして参加している。かつてのPerfume初期メンバーという経歴だけではなく、現在も音楽を通じて活動している人物なのである。
【プロの結論】河島佑香の存在を理解するうえで大切なのは、Perfumeの歴代メンバーという一面だけで彼女の人生を捉えないことだ。初期ユニットでの経験、脱退という選択、吉本興業での社会人経験、そして歌手としての再出発。それぞれが独立したキャリアの節目になっている。
また、Perfume側も2026年からコールドスリープという新しい段階に入った。グループの歴史を振り返るとき、現在の3人だけでなく、その原点をともに作った河島佑香の存在にも目を向けることで、広島から始まったPerfumeの物語をより立体的に理解できる。
主な参照資料
- 河島佑香本人のnote「第61話 ASH」(2020年6月6日)
- 日本テレビ『行列のできる相談所』関連報道(スポニチ、J-CASTニュース、2022年9月)
- デイリースポーツ「Perfume元メンバーが吉本社員に」(2011年・2013年)
- J-WAVE NEWS「Perfume、結成18年目までの軌跡」(2018年)
- サンフレッチェ広島公式プロフィール
- 広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校の2025・2026年講師紹介
- Perfume公式サイト「Perfumeより」(2025年9月21日)