【劇団四季への入団理由】1972年の転機と1973年の主演抜擢
声楽家を目指していた鹿賀さんが俳優の道へ進んだきっかけは、劇団四季の研究所のオーディションでした。
2025年9月の婦人公論.jpのインタビューで、鹿賀さん本人が当時の状況を詳しく振り返っています。音楽大学への進学を目指して東京に出ていたものの、卒業後の進路がはっきり見えず、将来について考えていた時期でした。
そんなとき、新宿の喫茶店で知り合ったアルバイト仲間から劇団四季の研究所を受けてみないかと誘われます。一緒に受験した友人は不合格となり、鹿賀さんだけが合格しました。
興味深いのは、オーディションでの行動です。歌の実技試験では、ピアノ伴奏ではなく自分のギターを持ち込み、弾き語りを希望。披露した曲は「シバの女王」でした。
さらに、劇団の舞台を見た感想文では、作品が面白くなかったという率直な感想を書いたことも明かしています。型どおりの受験ではなく、自分の音楽性や感性をそのまま示したことが印象的なエピソードです。
こうして1972年に劇団四季へ入団。当時の劇団代表・浅利慶太さんによって「鹿賀丈史」という芸名が付けられました。「鹿賀」は故郷の加賀にちなみ、「丈史」は劇団四季の名優・日下武史さんに由来しています。
そして入団から間もない1973年、研究所2年目にしてロックオペラ『イエス・キリスト=スーパースター』の主役、ジーザス・クライスト役に抜擢されます。若手俳優としては異例ともいえる大役であり、鹿賀さんの舞台人生を決定づけた出来事でした。
その後も『ウエストサイド物語』のトニー役や、越路吹雪さんのリサイタルへの出演など、歌唱力を生かした舞台経験を重ねています。鹿賀丈史さんの俳優としての原点には、声楽を学んできた確かな実力がありました。
これらの経緯は、本人のインタビューと鹿賀丈史オフィシャルサイトの舞台出演記録で確認できます。
また、同期として知られる市村正親さんとの出会いも、この劇団四季時代にさかのぼります。市村さんは『ジーザス・クライスト=スーパースター』でヘロデ役を演じ、鹿賀さんはジーザス役を務めました。後年まで続く名コンビの原点です。
【劇団四季の退団理由と映画デビュー】野獣死すべしで見せた新境地
劇団四季で舞台俳優として活躍した鹿賀さんですが、1980年には退団し、映像作品にも活動の幅を広げていきます。
退団の背景については、2025年9月の婦人公論.jpのインタビューが重要な手がかりになります。鹿賀さんによると、退団の意思を浅利慶太さんに伝えたのは春先のことでした。
当時はジロドゥの舞台『オンディーヌ』に出演する予定がありましたが、黒澤明監督の映画『影武者』のオーディションが行われる時期でもありました。映画の仕事にも挑戦したいという思いから、舞台出演を断って退団を決めたと振り返っています。
その際、浅利さんから退団後3年間は舞台に出ないようにと言われたことも本人が明かしています。『影武者』のオーディションにも結局参加できなかったそうです。
つまり、退団は俳優活動を辞めるためではなく、舞台だけにとどまらず映画や映像の世界にも挑戦するための転機でした。
なお、退団年については資料によって1979年と1980年の表記差があります。キネマ旬報系の人物略歴では1979年、本人の2025年インタビューでは1980年とされています。本人が退団の経緯を具体的に語ったインタビューでは1980年と説明されています。
映画デビュー作は松田優作主演の『野獣死すべし』
鹿賀さんの映画デビュー作は、1980年公開の『野獣死すべし』です。
松田優作さんが主演した村川透監督のハードボイルド映画で、鹿賀さんは主人公の相棒となる男を演じました。舞台で培った存在感をスクリーンでも発揮し、冷酷さを持つ人物を印象的に表現しています。
舞台で鍛えられた発声や身体表現は、映像作品でも大きな武器になりました。ミュージカル俳優としての歌唱力だけでなく、複雑な人物の内面を演じる力が評価されるようになっていきます。
大河ドラマ『黄金の日日』では高山右近役
映画デビュー以前の1978年には、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に出演しています。演じたのは、戦国時代のキリシタン大名として知られる高山右近です。
この作品は鹿賀さんのテレビドラマ初出演作として紹介されています。舞台での主演経験を重ねる一方、テレビの時代劇にも進出していたことが分かります。
若い頃の出演作を整理すると、鹿賀さんは劇団四季で舞台俳優として評価を確立し、その後、テレビと映画へ活動領域を広げたことが分かります。
【鹿賀丈史の若い頃から現在まで】代表作と経歴を年表で整理
鹿賀丈史さんのキャリアは、単純に舞台から映画へ移ったというものではありません。ミュージカル、映画、テレビドラマ、バラエティー番組と、異なるジャンルで存在感を発揮してきました。
特に注目したいのは、1980年代以降もミュージカルの第一線に戻り、長期にわたって大作の主要キャストを務めていることです。
鹿賀丈史のプロフィールと主要経歴
Kaga Takeshi
生年月日:1950年10月12日
出身地:石川県金沢市
本名:勝田薫且
2026年10月現在:76歳
プロフィールは本人公式サイトおよび映画人物データベースに基づく。
以下は、本人の公式プロフィール、舞台出演記録、映画データベースなどをもとに整理した主な経歴です。
『レ・ミゼラブル』でミュージカル俳優としての地位を確立
鹿賀さんの舞台キャリアを語るうえで欠かせない作品が、1987年から出演したミュージカル『レ・ミゼラブル』です。
公式プロフィールによると、鹿賀さんはジャン・バルジャンとジャベールという、性格も立場も大きく異なる役を演じています。1990年代から2000年代にかけても再演に参加し、1995年にはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われた10周年記念コンサートにも出演しました。
こうした実績は、鹿賀さんが単に歌のうまい俳優ではなく、人物の葛藤や内面を舞台上で表現できる実力派であることを示しています。
『料理の鉄人』で俳優以外の顔も知られるように
1993年には、フジテレビ系の人気番組『料理の鉄人』に美食アカデミーの主宰として出演しました。
放送ライブラリーの番組記録によると、番組は一流シェフが制限時間内に料理の腕を競う形式で、鹿賀さんは対決の進行役を務めていました。
舞台での重厚な演技とは異なる、華やかで独特な司会進行も人気を集めました。「私の記憶が確かならば……」という番組を象徴する演出とともに、鹿賀さんの顔と名前が幅広い視聴者に知られるようになったのです。
演劇ファン以外にも認知を広げたという意味で、『料理の鉄人』は鹿賀さんのキャリアにおける大きな転換点でした。
【2026年現在】鹿賀丈史と市村正親が『ラ・カージュ・オ・フォール』で共演
2026年10月現在、鹿賀丈史さんは76歳。舞台俳優としての活動を続けており、2026年の大きな注目作がミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』です。
ホリプロステージの公式発表によると、2026年12月9日から29日まで東京・日生劇場で上演されます。今回の公演は初のダブルキャスト形式で、鹿賀丈史さんと市村正親さんの組み合わせに加え、佐藤隆紀さんと石丸幹二さんの組み合わせも登場します。
鹿賀丈史が演じるのはジョルジュ役
鹿賀さんが演じるのは、ナイトクラブを経営するジョルジュ。市村さんは、そのパートナーであるアルバン、通称ザザを演じます。
この作品は、南フランスのナイトクラブを舞台に、同性カップルの愛情や家族の絆を描くコメディ・ミュージカルです。1985年の日本初演以来、長く愛されてきました。
鹿賀さんと市村さんのコンビが初めて実現したのは2008年。ホリプロステージが2026年9月28日に公表した製作発表レポートでは、鹿賀さんが今回で6回目の出演になると説明しています。
同発表で鹿賀さんは、今回の公演について、新しいカップルが誕生するダブルキャスト形式を楽しみにしているという趣旨のコメントを寄せました。
2026年公演の日程と出演情報
Daiwa House presents ミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』
東京公演
12月9日~29日
会場
日生劇場
鹿賀丈史
ジョルジュ役
市村正親
アルバン(ザザ)役
東京公演のチケット料金(税込)
- 平日:S席15,500円、A席10,500円、B席6,000円
- 土日・指定公演:S席16,000円、A席11,000円、B席6,500円
料金・日程はホリプロステージの公演案内に基づく。
さらに、東京公演の後には2027年1月から2月にかけて愛知、大阪、岡山、埼玉での公演も予定されています。
この再共演が興味深いのは、1970年代に劇団四季で出会った2人が、半世紀以上を経ても同じ舞台作品で共演している点です。若い頃の鹿賀さんがジーザス役として舞台の中心に立った経験と、現在のジョルジュ役で見せる円熟した演技。その両方を知ることで、俳優人生の長さと変化を実感できます。
なお、2026年10月29日時点では12月公演は開幕前です。すでに上演された公演としてではなく、これから始まる舞台活動として捉える必要があります。
【鹿賀丈史の若い頃の写真】高校時代や劇団四季時代の姿は見られる?
鹿賀さんの若い頃の写真を探している人には、2025年9月に掲載された婦人公論.jpのインタビュー記事が参考になります。
同記事の写真ページには、本人提供の高校時代の写真と、劇団四季に所属していた20代の頃の写真が掲載されています。現在の落ち着いた雰囲気とは違う、若い時代の姿を確認できる貴重な資料です。
特に高校時代の写真は、声楽家を目指していた時期の鹿賀さんを知るうえで興味深いものです。若い頃から舞台映えする存在感があったことに加え、当時の表情や髪形、雰囲気なども見比べられます。
また、劇団四季時代の写真は、ジーザス役などで舞台に立っていた20代の鹿賀さんを知る手がかりになります。
写真を探す際は、単に「鹿賀丈史 若い頃」と検索するだけでなく、「鹿賀丈史 高校時代 写真」「鹿賀丈史 劇団四季 20代 写真」といった検索語を使うと、時代を絞って探しやすくなります。
写真の出典や撮影時期も確認すると、別の俳優の画像や近年の宣材写真と混同せずに楽しめます。
【鹿賀丈史若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:鹿賀丈史は若い頃、何を目指していたのですか?
A1:クラシックの声楽家を目指していました。金沢少年合唱団で歌を始め、金沢二水高校の合唱部でも活動。個人レッスンを受けながら東京芸術大学の声楽科への進学を目指していました。
Q2:鹿賀丈史が劇団四季に入団したのは何年ですか?
A2:1972年です。音楽大学を目指して東京で浪人していた時期に、アルバイト仲間に誘われて研究所のオーディションを受験。本人だけが合格し、俳優の道へ進みました。1973年には『ジーザス・クライスト=スーパースター』で主演を務めています。
Q3:鹿賀丈史と市村正親はいつからの付き合いですか?
A3:劇団四季時代からの付き合いです。1970年代に『ジーザス・クライスト=スーパースター』で共演し、2008年からはミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』でもコンビを組んでいます。2026年公演でも再び共演します。
まとめ:鹿賀丈史の若い頃を知ると現在の舞台がさらに面白くなる
鹿賀丈史さんの若い頃を振り返ると、俳優としての出発点は、金沢で過ごした少年時代の音楽経験にありました。
小学4年生から金沢少年合唱団で歌い、金沢二水高校では合唱部に所属。声楽家を志して上京したものの、偶然受けた劇団四季のオーディションに合格したことで、人生の進路が大きく変わりました。
1973年の『ジーザス・クライスト=スーパースター』主演、1978年の『黄金の日日』、1980年の『野獣死すべし』を経て、ミュージカルや映画、テレビで幅広い役柄を演じる俳優へと成長しています。
そして2026年12月には、市村正親さんとの『ラ・カージュ・オ・フォール』で再び舞台に立つ予定です。
鹿賀丈史さんの若い頃を知る際に大切なのは、単に昔の写真と現在の姿を比較することではありません。少年時代に身につけた歌唱力が劇団四季で開花し、映画やテレビで演技の幅を広げ、現在の舞台表現へとつながっている点です。
若い頃の写真や本人のインタビュー、公式の出演記録を照らし合わせると、鹿賀丈史という俳優が歩んできた道筋がより鮮明になります。2026年の『ラ・カージュ・オ・フォール』は、その長いキャリアを改めて感じられる舞台になりそうです。 (出典: 鹿賀 丈史 若い 頃(Yahoo!ニュース))